Memory
Whether the cards align or not, they will eventually change and ultimately disappear.
Maurice Halbwachs stated that the past is something given meaning and reconstructed within the present.
Christianity also teaches the limits of human understanding and the guidance that transcends it:
“For my thoughts are not your thoughts, neither are your ways my ways,” (Isaiah 55:8).
Perhaps, rather than clinging to individual coherence, what truly matters is how everything will one day converge into a greater flow.
We are still tracing outlines on the surface of memory—like water lilies floating in Giverny.
メモリー
カードが揃っても揃わなくても、それはやがて変化し、やがて消えていく
モーリス・アルブヴァクスは、過去とは現在の中で意味づけられ、再構築されるものだと述べた
またキリスト教には、人の理解の限界と、それを超える導きの教えがある
「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なる」(イザヤ書55:8)
これは、個々の整合性にこだわるよりも、やがて一つの大きな流れに結びついていくことにこそ意味があるのかもしれない
まだ私たちは、記憶の水面で輪郭を描いている。ジヴェルニーに浮かぶ睡蓮のように
Category: Media Art
Medium: Digital Design, Generative Digital Mediam
Dimensions: H2160×W3840px
Engineer: Katsunori Isono
Collection: Private Collection
Year: 2025
※For best viewing, use a PC with GTX 1060 or better.
※鑑賞にはGTX1060以上のGPU搭載PCを推奨
作品解説 & インタビュー
水面に揺れる記憶とかたち——非整合の美を描く
「カードが揃っても、揃わなくても、それはやがて変化し、やがて消えていく」
中谷の作品は、この一文に象徴されるように、記憶と存在のあいまいさ、そしてその中にひそやかに宿る静けさを描き出す。そこには、モーリス・アルブヴァクスの「記憶は現在によって意味づけられる」という思想と、イザヤ書の「わたしの道は、あなたがたの道と異なる」という言葉が響き合っている
彼は「整合性のある記憶だけが正しいのか?」と問いかけ、そしてこう語る。「荘子の“人の生を借りて此に寓る”という言葉を、現代の記憶に置き換えると、大きく整合性がとれていなくてもいいんじゃないかと思った」
人は記憶を都合よく書き換えながら生きている。それはアルブヴァクスや、、キリスト教的観点から見ても、否定すべきものではなく、むしろ人間の限界を超える慈しみによって許されるのだろう
カードという視覚的装置を通し、中谷は、秩序よりも“揺らぎ”に宿る美を描く。カードは整然と並ぶことなく、ふいに現れ、やがて消えていく。その不確かさこそが、私たちの記憶のあり方と重なる
作品と向き合って印象深かったのは、「かたちにならないものを愛する視点」だ
中谷は「これは、記憶が苦手な仲間と、記憶があいまいになった愛する人に捧げた作品でもある」と言う。このまなざしには、整わぬ記憶や非整合ささえも、人間の美しさの一部として受け入れる理解がある
さらに彼は言葉を重ねる
「正しさの尺度も、記憶と同様につねに変化している。それは時に間違いにもなり、時に美しさとなる」この言葉には、過去と存在の再構築を認める柔らかさと、生きることそのものを肯定しようとする共感が込められている
本作は、明快な答えを提示するものではない。だからこそ、観る者一人ひとりが「自分の記憶」と向き合い、その揺らぎを映し出す鏡のような存在だ。その姿は、ジヴェルニーの池に静かに浮かぶ睡蓮を思わせる。想起と存在の関係を掘り下げる記憶哲学・存在論の実践といえるだろう
Art Commentator: Y. Kato