Free Air

When we encounter a tire with low air pressure,
we may, in fact, be sensing the breath of a stranger.

This work focuses on the culture of shared bicycles in Japanese cities,
and on the nature of human breathing.

The phrase “Free Air” carries layered meanings—
from gravity corrections in geoscience to signs of abnormality in medicine.
Each of these reflects subtle shifts or urgencies that are invisible to the eye,
perhaps like the fatigue or anxiety left behind by someone who last rode the cycle.

Perhaps it is not the tire that truly needs air,
but us.

フリーエア

空気圧の低いタイヤに出会ったとき、私たちは「見知らぬ誰かの息づかい」に触れている

本作は、日本の都市におけるシェアサイクル文化と、人々の呼吸のあり方に着目した作品である

「Free Air」という言葉には、地球科学における重力補正、医療における異常の兆候といった異なる文脈が潜んでいる。それらは、目に見えない「ずれ」や「緊急性」を伝えるサインでもあり、シェアサイクルを利用した誰かの焦りや疲労のようにも映る

空気が本当に必要なのは、タイヤではなく、私たちのほうなのかもしれない

Category: Sculpture
Medium: Mixed Media
Dimensions: H670×W200×D50mm
Photography: Yudai Nakaya
Collection: Private Collection
Year: 2025

アートフェスティバル出展作品作品解説 & インタビュー

「Free Air」——見えない呼吸が映し出す、都市の気配

「空気圧が低い自転車のタイヤに出会うとき、誰かの息づかいを感じていた」
そう語る中谷は、シェアサイクルの文化に注目しながら、日本の都市生活を見つめ直す試みを続けている

本作「Free Air」は、都市に満ちる「時間に追われた呼吸」を起点に構想された。都心部では、人々は常に何かに急かされるように歩き、移動し、働いている。息を吸うことすら、もはや十分に許されていないような社会。中谷が目を向けたのは、そんな都市の空気のあり方と呼吸のリズムだった

「1分の遅れすら許されない都市のリズムのなかで、渋滞や待ち時間は人々の不安を増幅させる。そうした焦りを和らげる手段として、シェアサイクルという選択肢が生まれた。けれど、自分で運転する分、そこで得られるのは“安心”というより、むしろ新たな緊張感のなかに飛び込むような感覚だろう。息が整うどころか、空気圧も呼吸もすり減らしているように見えた。」と中谷は語る

「Free Air」というタイトルには、2つの異なる分野からの引用が込められている。一つは地球科学。ここでの「Free Air」は、標高によって変化する重力の測定を補正するための理論上の空間を指す。もう一つは医療領域で、腹腔内などに本来あってはならない空気がある状態、すなわち異常や緊急性のサインとしての「Free Air」だ

どちらの文脈においても「Free Air」は、見えないズレや危機を知らせるシグナルである。中谷はその概念を都市のシェアサイクルに重ねる。空気圧の落ちたタイヤに触れるたびに、それを使った誰かの焦りや疲労、あるいは見えない生活の痕跡が浮かび上がってくる

作品全体を貫いているのは、呼吸というモチーフだ。呼吸は、私たちの存在そのものを象徴しながらも、他者との見えないつながりをも生み出す。実存哲学の視点からすれば、それは「自由に生きること」と、それに伴う「責任や倫理」を問うものでもある。誰かが残した“空気”に触れるということは、都市における個人の孤独や、見知らぬ他者との接触点に立ち止まるということなのだ

「空気が本当に必要なのは、タイヤではなく、私たち自身なのかもしれない」そんな作家の言葉は、都市に生きる私たちに問いかける。呼吸を取り戻す時間は、まだ残されているのだろうか(2024年時点における国内のシェアサイクル稼働台数は、少なくとも約23,600台にのぼると推定される)

Art Commentator: Y. Kato